LOGIN妻は禁忌とされている自害をしたので、本来であれば正式な葬儀を執り行うことはできない。
だが、それでは色々と良からぬ噂が立つであろうから、その点は不本意ながら兄たる皇帝の力を借りて隠蔽した。 公爵夫人のものとしてはあまりにも簡素な葬儀が執り行われた後、私が最初にしたことは妻の親戚筋の一家を住み込みの家人として取り立てることだった。 というのも、この一家は元々男爵の位を有していたのだが、先代の当主が投資に失敗し無一文に近い状態となり、領地と爵位を売ってしまったのだという。 そんな一家に妻は侍女として皇后に仕え始めてからずっと仕送りを続けていたらしい。 ちょうど私も第二皇子の身分から公爵として独立し、皇宮を出て屋敷を構えていたので、それなりの人手を必要としていたということもある。 なので、万一気にさわらなければお願いできないかと申し出たところ、先方からはすぐに快諾する旨の返答があった。 私とかつて私の守役を勤めていた執事、そして数人の料理人と私の乳母だった女性しかいなかった屋敷は、一気に賑やかになり、明るい雰囲気に包まれた。 その一方で母親を喪った息子は、日々成長していった。 巻き毛の赤茶色の髪に、青緑色の瞳。 何も知らない家人達は、本当に私そっくりのかわいらしいご令息だと、褒めそやし目を細めたが、私の見立ては違った。 細かい顔の造形は、当然のことながら本当の父親である兄……皇帝に似ていた。 妻と皇帝との仲を薄々ながら感じ取っていた皇后の目に留まれば一体どうなるかは、火を見るよりも明らかだ。 皇帝の命令であるからというのもあるが、妻との約束を果たすためにも、この子の命を皇后から護らねばならない。 果たしてどうすればいいのか。 日夜悩んだ結果、私はある残酷とも言える決断を下した。 この子は、一生この屋敷からは出さない。 家人以外の目には触れさせない。 人目に触れなければ、この子が皇帝に似ていると知るものはいない。 安直ではあるが、これが最良の策だと私は思った。 何も知らず寝台の上で安らかな寝息を立て日を改めて、和平調印式は滞りなく執り行われた。 その後開かれた定例の議会では、フリッツ公が先帝の実子である証拠が提出され、正式にメアリの廃立とフリッツ公の次期皇帝への即位、そしてミレダが臣籍に下る事が決定した。 散開となり、重苦しい空気に包まれていた議場をあとにしたミレダを待っていたのは、他でもなくペドロだった。 その姿を認めるやいなや、ミレダはそちらへ走り寄る。「どうした? 何かあったのか?」 不安げなミレダとは対照的に、ペドロはいつになく晴れやかな表情を浮かべている。「今し方、連絡がありました。シエルの意識が戻ったと」「本当か?」 驚きと喜びと不信がないまぜになったような顔をしているミレダに、ペドロはうなずいて返す。「ただ、あまり無理はできないので、お会いになるのはまだ……」 が、ペドロの言葉が終わらぬうちに、ミレダはフリッツ公の屋敷に向かい走り出していた。 その後ろ姿を見送りつつ苦笑を浮かべ、ペドロはあきれたようにつぶやいた。「まあ、仕方がないでしょうね」 ※ 日当たりの良い室内の中程に置かれた寝台にシエルは横たわっていた。 まぶたは閉じられており、安らかな寝息を立てているように見える。 無論室内では、あの邪気よけの香が焚かれており、かすかな香りが鼻をくすぐる。 足音をたてぬよう細心の注意をはらい寝台に近寄ると、ミレダはその傍らに置かれている椅子に腰かけ、そっとシエルの顔をのぞき込んだ。「すまない。私はまたお前に……」 言葉と同時に、ミレダの目から涙があふれる。 頬を伝い落ちるそれは、胸の上で組まれていたシエルの手にこぼれ落ちた。 刹那、シエルはわずかに身じろぎする。 驚いて咄嗟に身を引くミレダの前で、シエルはゆっくりと目を開いた。 藍色の瞳には、苦笑にも似た光が浮かんでいる。「……まただ」 かすかにつぶやくシエルに、ミレダは訳がわからないとでも言うように首を傾げる。「何が? 一体どういう意味だ?」 その言葉を受けて、シエルは珍しく柔らかな微笑を浮かべてみせた。「あなたはいつも、俺が目を覚ますと、泣いてる。あの時も、そうだった」『あの時』が何を意味しているのかを理解したミレダは、思わず強い口調で反論する。「そりゃそうだろう? 傷だらけの状態で何日も目覚めないでいたら、本当に死んでしまうんじ
自室で衣装を改めたミレダは、寝台に突っ伏し泣きじゃくっていた。 もっとも大切な友人を自分のせいで窮地に追い込んでしまった、そう思っていたからだ。 そんな時、扉をたたく音に気付き、あわてて顔を拭うとやや力のない声でこう告げた。 「……誰だ? しばらく誰とも会いたくないと言ったはずだ」 しばしの沈黙のあと、困ったような声が扉の向こう側から聞こえてきた。 「お気持ちはわかりますが、急ぎお伝えしたいことがありまして」 他でもないフリッツ公の声に、ミレダは立ち上がると重い足取りでそちらをへと向かい、ややためらったあと扉を開く。 そこには心配そうな様子のフリッツ公とペドロが立っていた。 フリッツ公はミレダの姿を認めると、常のごとく柔らかく微笑む。 「お加減はいかがです? 少しは落ち着かれましたか?」 が、そう問われたミレダは首を左右に振り目を伏せる。 「私のことは、どうでもいい。それよりもシエルは?」 「今、大司祭猊下自ら治療にあたっています。曰く、もうしばらくかかりそうだと」 「……そうか」 うつむいたままミレダは室内へと足を向ける。 そして、戸口に立ち尽くす二人に向かい低い声で言った。 「すまないが私もまだ気分が優れない。手短にたのむ」 その言葉を受け、ペドロは深々と頭を下げた。 「殿下の目となり耳となる役目を負いながら、この度は申し訳ありませんでした。この上は……」 ペドロが短剣を眼前にかざすと、ミレダはあわててそれを制した。 「やめろ! 私は誰も失いたくはないんだ。それに、何か言えないような事情があったんだろう?」 一体何が、と問われ、ペドロは困ったようにフリッツ公を見やる。 それに対してうなずくと、フリッツ公はいつになく厳しい表情で切り出した。 「事の発端は、ある人物の執着と恨みです。それに取り入ったゲッセン伯は、結果飲み込まれてしまったのです」 と、ミレダは驚いたように顔を上げる。 「……じゃあ、ゲッセン伯の後ろに誰かがいた、ということか?」 フリッツ公は厳しい表情を崩すことなくうなずく。 それは一体誰なんだ、と言外に問いかけてくるようなミレダの視線を真正面から受け止めて、フリッツ公は重々しく告げる。 「畏れ多くも不可侵な方。……皇帝陛下メアリ様です」 その言葉に、ミレダ
「シエル? お前、一体……」 驚いたようなミレダの視線から逃れるように、シエルはぐるりと戦場と化した中庭を見回した。 突然の闖入者に近衛たちは次第に息を吹き返し、白の隊は押され気味となる。 皇国最強と謳われている勇者が現れたのだから、無理もない。 それを見て取ったゲッセン伯は、部下を鼓舞すべく声を上げる。「たかが一人の新手に、伝統ある白の隊が怯んでどうする! いけ!」 だが、一度失われた戦意はなかなか元には戻らない。 その間にようやくミレダ達の元にたどり着いたフリッツ公は、不安げにシエルに問いかける。「……アルトール殿、お体は……」 対してシエルは不機嫌さを隠そうもせずに、ぶっきらぼうな口調で応じた。「どうにか動ける。それよりも、殿下と早く安全な場所へ」「待て! 戦うなら私も一緒に……」 言いかけたミレダをフリッツ公はひざまずき横抱きにしてからすいと立ち上がる。 そして、何やらわめき続けるミレダを抱えたまま建物の方へと向かい走り始めた。 両者が無事安全な謁見の間のある建物の中へと退避したのを見届けたシエルは、眼前に立ちふさがる敵に向かい恐ろしい言葉を放った。「あいにく俺は病み上がりな上に機嫌が悪い。残念ながら手加減はできないからそう思え」「ならば、その短剣では心許ないでしょう?」 背後からの声に、シエルは身体ごとふりかえると、そこにはいつの間にか含み笑いを浮かべたロンドベルトが立っていた。 驚いたような視線を向けられたロンドベルトは、足元に転がっていた長剣を拾い上げると、シエルに向かい差し出す。「どうしてあなたがここに?」 当然とも言える疑問を投げかけられて、ロンドベルトはわざとらしく肩をすくめて見せた。「話せば長くなりますが、言うなれば宮仕えの哀しさ、と言ったところでしょうか。それよりも、お早く」 未だ納得がいかないようなシエルに長剣を押し付けると、ロンドベルトは自らも剣を抜きシエルと背中合わせに立つ。「……どういうつもりだ?」 受け取った剣を構えながら、シエルは背後のロンドベルトに向かって問う。 一方のロンドベルトは、襲い掛かってきた一人の騎士を切り伏せながら、冗談めかしてこう言った。「私もそれなりに不満が溜まっていますので。お手伝いさせてはいただけませんか?」 言いながらロンドベルトは剣を一閃させる。
「どういうことだ? ゲッセン伯は外を守っているはずだろう?」 突然乱入してきた白の隊を目にし、ミレダは戸惑ったような声を上げる。 数の上では近衛と朱の隊の合計のほうが遥かに多いのだが、彼らの大部分には実戦の経験がない。 形ばかりの武術は、実戦に裏打ちされた武力に太刀打ちができなかった。 近衛たちは目に見えてその数を減らしていく。 その隣に立つフリッツ公は白の隊乱入の理由を知ってはいるのだが、今更言っても仕方がない。 「殿下、公爵閣下、お早く建物の中へ!」 自らの命を盾にして血路を開いていく近衛と朱の隊の姿に、ミレダは思わず唇を噛む。 そんなミレダの手を取りフリッツ公は先へ進もうとするのだが、ミレダはなぜかその場を離れようとしない。 「やめろ! 双方剣を引け! この場をなんだと思っているんだ!」 中庭のそこかしこで繰り広げられている乱戦に向かい、ミレダは叫ぶ。 だが、その声とは裏腹に芝の上には赤い血が花が咲いたように飛び散り、無数の骸が転がっている。 「殿下、参りましょう!」 これ以上この場にいては危険と判断したフリッツ公は、ミレダを一番近い建物の中へと導こうとする。 しかし、なだれ込んできた騎士たちの戦いに巻き込まれその手が離れた。 両者の間では、近衛と朱の隊そして白の隊が入り乱れ、無秩序な争いが始まった。 「殿下!」 フリッツ公は叫びながらミレダの方に向かおうとするのだが、武器を持たない状態ではあまりにも無謀である。 近衛たちは必死にフリッツ公を押しとどめようとする。 「いけません、閣下! せめて閣下だけでも退避を……!」 フリッツ公とミレダ、両者の距離は次第に広がっていく。 取り残されたミレダが断末魔の叫びが聞こえる方に目をやると、ひと際豪奢な白い甲冑をまとったゲッセン伯が、自ら白刃を振り回していた。 怒りに満ちた視線を投げかけながら、ミレダは思わず叫んでいた。 「血迷ったか! 和議の席を混乱させるに留まらず、皇帝の代理人たる私達に弓を引くとは!」 けれど、ゲッセン伯は血走った眼に怪しい光を湛え、不気味に曲がった口から奇妙な言葉を発した。 「皇帝の代理人など笑止千万! 正当なるルウツの皇帝陛下を差し置いて、その位を簒奪しようとする愚か者らを討ち果たす!」 「どういうことだ?
程無くして駆けつけたペドロは、いつになく色を失っていた。 半泣きになりながらも汚した床を片付けるシモーネと、空っぽの寝台を見やりながら、注意深く室内に視線を巡らせた後、ペドロはおもむろに執事長に向き直った。 「お屋敷の中は、もう探しましたか?」 「はい、くまなく探しましたが、お姿は見当たらず……。ご存知のとおり、庭園は皇宮や司祭館に通じておりますので……」 その返答に、ペドロは目を伏せ首を左右に降る。 「自分は司祭館の方から参りましたが、途中ではすれ違いませんでした」 言いながらペドロは寝台に歩み寄ると、その上に手を置く。 「だいぶ冷えていますね。短剣も見当たらない。かなり前に出て行ったのでしょう」 「けれど、一体どちらへ? まだアルトール様はご自身を取り戻していないようにお見受けしましたが……」 涙声で問うシモーネの言葉を受けて、ペドロは目を閉じじっと何かを反すうしている陽だった。 「あの時……いや、でもまさか……」 「ペドロ殿?」 首をかしげる執事長に、ペドロは珍しく大きな声を上げた。 「皆さんは引き続き、敷地内の探索を。自分はロンダート卿とジョセ卿につなぎをつけます!」 自分の考えが当たらなければ良いのですが。 そう言い残してペドロはその場を走ってあとにした。 ※ 皇宮の中庭に設えられた調印式の場にまず現れたのは、貴公子然としたフリッツ公。 そして、その手を取って並び立つ姫君の美しさに、その場を埋め尽くす近衛や朱の隊の口からは嘆息が漏れる。 無論それは身分相応の装いをしたミレダであることは言うまでもない。 華やかな装いとは裏腹に、その顔は不機嫌そうだった。 「書類に署名押印をするまでの辛抱です。ですからもう少し我慢してください」 苦笑いを噛み殺しながら小声で言うフリッツ公に、僅かに唇を尖らせる。 「わかってる。けれど、どうしてこんなに重くて動きにくい格好をしなければならないんだ?」 加えて慣れぬかかとのある靴では足元が覚束ないミレダは、フリッツ公の手を取らなければ歩くこともままならない。 そんな見た目だけは紳士淑女の両者の前に現れたのは、エドナの全権大使である。 ロンドベルトを始めとする駐在武官達に囲まれているその様は、まだ完全にルウツを信用してはいないように見える。
ミレダはかなり不機嫌だった。 不在となっている皇帝の代理人としてフリッツ公と共にエドナとの和平調印式に出るのはいい。 だが、公の場に出るとなると、身分にふさわしい服装をするべきではないか、と周囲が言い出したのである。 ミレダは当初、常日頃のような騎士の出で立ちで出席しようとしていたのだが、和平を結ぶ席に武人が赴くのはいかがなものかと言われ、ついに折れざるを得なかった。 結果、常ならば自然に背へと流されている長い髪を結い上げ、着慣れぬ貴婦人の装束に身を包むことになったのである。 もちろんその格好では、肌身はなさず帯びていた剣を身につけるわけにはいかない。 仏頂面で現れたミレダに、フリッツ公は一瞬目を見開き、ややあってにっこりと笑った。「大変お似合いです。一体どちらの貴婦人が現れたのかと思いました」「茶化さないでくれ。今日は剣を持っていないからな。何かあっても従兄殿を守ることはできないぞ」 いつもよりもやや乱暴な口調のミレダに、フリッツ公は僅かに肩をすくめてみせる。 それから冗談めかしてこう言った。「私達は戦場に赴くわけではないですよ。交渉事に剣など不要ではありませんか」「従兄殿は甘い。それでよく今まで生き延びられたな」「まあ、私は政に関心のない愚昧公でしたから」 そう片目をつぶってみせるフリッツ公。 だがその内心には不安しかなかった。 ユノー達からの報告によれば、この事件を引き起こしたのは白の隊を率いるゲッセン伯だという。 その隊は悪いことに、他の五伯爵家の部隊とともに近衛と朱の隊では手薄な皇宮内の警備についている。 彼の背後にはメアリがいるはずだ。だとすれば、確実に何かをたくらんでいるだろう。 しかし、それはあくまでもフリッツ公の憶測に過ぎないので、ミレダには伝えていない。 加えてフリッツ公自身も、今日は貴公子然とした格好をしているため、剣を帯びてはいない。「まあいいさ。何か起きたら、私が身を挺して従兄殿を守る」 いつになく真摯な口調のミレダに、フリッツ公は思わず足を止める。「待ってください。どうしてそうなるんですか?」 すると、ミレダは振り返りざまにこう答えた。「決まってるじゃないか。従兄殿は次期皇帝なんだから、臣籍にくだる私が守るのが道理というものだ」 そして屈託もなく笑ってみせるミレダに、フリッツ公は頭を